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河野村の現況 右近家山荘西洋館よりの眺め

北前船主の館、右近家
へ迂回し、北海道の松前に至る間、各地で買積みした物産を交易しながら往還した廻船のことで、物産はもとより各地の情報を伝達した点で、地域文化の交流に果した役割は大きい。越前海岸河野村は早くから日本海の物産を武生方面へ運ぶ陸揚地でもあったことから、右近家や中村家のような、日本海五大船主に数えられた大船主が輩出し、また船頭、水手たちも住みつき、いわば北前船の村を形成した。天明、寛政(1781−1801)の頃からの活動が確認されている。このうち右近家は、全盛期には八幡丸をはじめ30余船の帆船(弁才天型)を所有していた。しかし、明治中期に至り蒸気船が登場すると、いちはやくこれを導入して海運の近代化を図ったが、鉄道の普及も加わり、頽勢を挽回することはできず、明治30年代に至って衰微、その歴史を終えた。ちなみに右近家はそれまでの業務を生かす海上保険業に転身した。現在の日本火災海上保険会社がこれである。当村にはその右近家の屋敷(明治34年建替え)が残されており、主屋の他、6棟に及ぶ土蔵や茶屋などが、かつての北前船々主の富勢を物語っていた。
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